山本ゆうごブログ

山本ゆうごの仕事メモ

機械が読むということ

機械が読むということを整理したい。

デジタル化ということは、本来機械が読めるようになるということでもあるのだが、実際には渡したちは一向に読むことから開放されてない。紙の本からPC、スマホになっているが、むしろ読む量は増えているのではないか。

もちろん、デジタル化が「人と人とのコミュニケーションを活性化させる手段」といして発達しているのだから、そもそも機械に読んで欲しいわけではない。

この文章だって人間が読むための文章であって、機械が読むために書いているわけではない。

ただ、検索エンジンにとって読みやすい必要はあるとは思っている。だからのこのブログにもカテゴリを設定して、複数の記事を巡回安くしている。検索エンジンはあくまで人間にとって勝ちのある記事をより検索しやすくしているだけだが、人間にとって価値が低くても、検索エンジンにだけ気に入られればいいという発想もある。

逆に人間だけ読めれば良くて、検索エンジンには見つけてほしくないというケースもある。謝罪文が画像で表示されるケースなどは、機械に読んでほしくないケースだろう。

デジタル化された情報が、「人間が読む」「機械が読む」ことのせめぎあいは常に起こっており、今後も続く。私が今している仕事の大半は、「人間が読むことを前提にしたデータを機械が読む」ということが主な価値となっている。